毎週土曜日20:00からオンエアされているJ-WAVEの番組、「TOMOLAB」を聞いていたら、稲垣えみ子さんという方がゲストで招かれていました。
トークを聴いていたら、内容が深くて面白く、いつもながらの「この人って何者?」という気持ちになり調べてみました。
そうしたら、あー見たことある!
いつだったか忘れましたが、確か古舘伊知郎さんがメインキャスター時代のテレビ朝日の「報道ステーション」にコメンテーターとして出演していました。
ビジュアル的にもインパクトがある稲垣えみ子さん。
今回は、「稲垣えみ子さんってどんな人?」をベースに、彼女のエアコン無しの生活や近所付き合いについて深掘り・考察していきます。
稲垣えみ子さんてどんな人
まずはいつもながら、簡単なプロフィールを!
稲垣えみ子さんのプロフィール・経歴
- 氏名
稲垣えみ子 - 生年月日
1965年●月●日(月日は調べがつきませんでした) - 出身地
愛知県 - 最終学歴
一橋大学社会学部 - 経歴
大学卒業後、朝日新聞社入社
高松支局・京都支局・大阪本社社会部
大阪本社社会部時代はデスクを務める
週刊朝日編集部・論説委員・編集委員を務める
2016年50歳の時に、朝日新聞を退職
退職後はジャーナリスト・フリーランサーとして、多くの著書がある
福島第一原発事故以降、超節電生活を送っている
誕生日はわかりませんでしたが、現在58〜59歳ですね(2024年6月現在)。
一橋大学から、朝日新聞入社。
そして、朝日新聞では編集委員まで務めていたなんてすごいですね。
ところで編集委員ってたまーに耳にしますが、皆さんご存知ですか???
編集委員(へんしゅういいん、英称:senior staff writer)とは新聞社、通信社における専門記者の役職。部長や局長などの管理職になれなくても、ライター技能で同等の処遇を受けられるように設けられた役職
メディア、とりわけ新聞社、通信社において一定のキャリアを積んだ者の中から、専門分野記事を執筆出来る見込みのある記者から任命される。
wikipedia 「編集委員」より引用
管理職になれなくても、ライターとして部長・局長級の役職という事ですね。
どうやら、個人の責任で原稿を書く事ができ、署名も入れられるそうです。
wikipediaでは現職・元職の編集委員の方々の名前が出ているぐらいだから、それなりに選ばれた人ではないとつくことが出来ないポジションのようです。
そこに名前を連ねている稲垣さんは実はこの業界では才能のある方なんですね。
【朝日新聞、元職の編集委員のほんの一例】
○江森陽弘さん
2015年に他界されていますが、テレビ朝日のワイドショーの『江森陽弘モーニングショー』のメインキャスター、熱闘甲子園の進行役、ドラマや映画にも少し出演経験したことがあるそうです
○筑紫哲也さん
多分知らない人はいないのでは?というぐらい日本のジャーナリズムの第一人者。
TBSの『NEWS23』といえば、筑紫さんですよね。
残念ながら、2008年に他界されています。
ビジュアル的にインパクトのある稲垣えみ子さん
稲垣さんはこんな方です。
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えっ!?
ってなりましたか?(笑)
私が初めて見たのは、冒頭にも書きましたが、古舘伊知郎さん時代の報道ステーションでした。
その時、「えっ?!」となりました。
正直、『お笑い芸人がふざけて解説しているコーナー』かと思いました。
なんのニュースについて話していたかは覚えてませんが、テロップには、「朝日新聞・・・、稲垣えみ子」と出てましたし、その後もしばらく見ていても、どうもおふざけ感はなかったので、本物の朝日新聞のジャーナリストなんだなと納得した覚えがあります。
今ではアメリカ人でもあまり見かけないアフロヘア。
でも、どうして稲垣さんは、どうしてアフロヘアにしたのでしょうか?
以前、大阪府警の担当記者だった稲垣さんは、警察官と担当記者の懇親会のカラオケの席で、小道具として置いてあったアフロヘアのかつらを皆で順番にかぶったのがきっかけでした。
「withnews」というサイトに、当時のことを書いた稲垣さんの記事がありました。
私の番が回ってきた。仕方がない。もじゃもじゃに頭をつっこんでみる。「ギャハハ」「似合う似合う」
せっかくなので鏡を借りて、ちらりと確認しましたよ。あら案外イケてる。
それから時は流れ、パッとしない日々が10年ほど積み重なったある日、「そうだ、アフロ、しよう」と思い立つ。いくら何でも社会人としてどうなんですかという美容師の反対を押し切り、平凡な私の頭に、丸くこんもりとした黒い物体が乗っかった。
アフロのカツラをかぶってから10年後に実際にアフロヘアにしたんですね。
てっきり、カツラをかぶった直後にアフロヘアにしたのかと思ってました。
もしかしたら、稲垣さん自身、「どこか変わりたい」「何か思い切ったことをしたい」という願望があったのでしょうか???
どちらにせよ、アフロヘアにして人生が変わったという稲垣さん。
- 電車の中、本屋、登山道。「その髪形いいですねえ」と声をかけられる
- 握手を求めてくる外国人
- 「よかったらどうぞ」と、カフェや居酒屋で一品サービスしてくれる
- アフロの肖像画を描いてプレゼントしてくれた
こうして、稲垣さんは常に笑顔に囲まれているようです。
人生は思いもかけぬ困難の連続だ。社会も閉塞している。成長は止まり、人口は減り、不安を背景に対立は深まる一方。それでも未来は変えていけるはずだ。
足りないのは、行動する勇気なのかもしれない。勇気を支えるのは、他人を信じる気持ちだ。人生は、ともに笑いあえる仲間がいれば何とかなるのではなかろうか。
稲垣さんは、先の『withnews』で、上記の文章で記事を締めていました。
「やってみたい」、「行ってみたい」、「興味あるんだよね」と思うこと、よくありますよね。
私にもそんな願望ばかりです。
でも、そう思って考えるだけで、そこに向かう一歩というのは、なかなか出すことができないのも確かです。
勇気がいりますからね。
一歩を踏み出したからこそ言える稲垣さん。
まさかアフロヘアの記事で、なおかつ、こんな短文なのに、なんだかとても伝わる文章を書くことができるなんて、さすが、元編集委員ですね。
エアコンのない生活をおくる稲垣えみ子さん
アフロヘアに注目が集まりがちに見える稲垣さんですが、実は、超がつくほどの節電生活をしていることでも有名です。
節電生活のきっかけ
2011年の東日本大震災で、福島第一原発の事故が起こりました。
稲垣さんは新聞社に勤めていたので、当然ながら「原発の危険性」や「危険を訴える人たちの存在」も知っていました。
でも、心のどこかで「日本の技術の優秀さ」や「事故など起きるはずがない」とたかをくくっていたそうです。
それから、「この事故の責任の一端は自分にもあるのでは?」と感じるようになり、原発の問題をいうのであれば、原発のない暮らしを体感してからでないと、原発については語れないのではないだろうか?と感じるようになったのです。
以下、稲垣さんが節電に至るまでの考え方をまとめました。
原発の危険性・危険性を訴える人々の存在は知っていた
優秀な日本の技術があれば事故など起きるはずがないとたかをくくっていた
事故の責任の一端は自分にあると考えた
原発のない暮らしを体感しない限り、原発については語れないと考えた
稲垣さんが節電生活を始めたのは、東日本大震災での原発事故でがきっかけだったんですね。
エアコンがなくて稲垣さんは大丈夫なのか???
まずは、以下、稲垣さんの部屋の写真です。
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確かにシンプルですが、殺風景というわけでもありませんよね。
とてもお洒落にみえるのは私だけでしょうか???
あー、でも、よく見ると確かに家電はありませんね。
節電を決意してから最初に始めたのは、こまめに照明を消したり、待機電力節約のためにコンセントを抜いたりしていたのですが、電気代は微減程度でほとんど効果なしのレベルだったようです。
そこで稲垣さんは、当たり前に使っていた家電を手放すという手段をとりました。
確かに、家電を使わなければ、電気代はガクッと下がりそうですよね!
でも、私、一つだけ気になったことが…。
それは、エアコンです。
ここ最近の夏の暑さは尋常ではありません。
私自身、エアコンを使いはしますが、どちらかというと、エアコンは贅沢品のイメージがまだあります。
睡眠中にエアコンをつけておくなんて贅沢だ!
エアコンをつけたまま寝たら、翌朝起きたときに体が調子悪くなってしまう。
そう思って、寝る前にはエアコンを消し、寝る間は網戸にして外からくる涼しい風で暑さを凌いでいました(というか、それだけで十分でした)。
ところがどうでしょう。
ここ数年は、夜、それも寝るような時間になっても外はジメジメ、風もなくまさしく熱帯夜ですよね。
寝るに寝れないので、贅沢だ!という考えを捨て、明け方までエアコンをつけっぱなしで寝るようになってしまいました。
だから、稲垣さんが、その熱帯夜をどう過ごしているのかとても気になります。
扇風機などで対処しているのでしょうか???
夜に限らず昼間はさらに暑いですよね。
エアコンのない家で生活している稲垣さんは、汗だくで自宅で記事を書いているのか心配になってしまいますよね???
でも、ご本人が、「エアコンの効いた近所のカフェ」で記事を書いていると話していたので、ホッとしました。
稲垣さんの気になる近所付き合い
プロフィールにも記載しましたが、稲垣さんは2016年に朝日新聞を退職しフリージャーナリストになりました。
そして、家電屋やモノに囲まれた生活をやめ、ミニマルな生活を送るようになりました。
苦労することも多いかと周りは思ってしまうかもしれませんが、稲垣さん自身は以下の通り、全く不便ではないようです。
要するに、街全体が自分の家・・・という考えに行き着いたようです。
稲垣さんにとって銭湯もカフェもスーパーマーケットも家。
それらが壊れたりしたら大変なことになってしまうので、自然と大事にしなきゃという気持ちになったようです。
大事にするって具体的にどういうこと?
パルシステムのウェブサイトで稲垣さんの「大事にする」を話しています。
お世話になっているところでは、お金も気も遣うし、もらい物をしたらおすそ分けもする。そんなことってこれまで考えたこともなかった。むしろ競争社会の中で、他人の幸せは自分の不幸と当たり前に考えてきた。それが会社を辞めて、家から物をなくして初めて、他人の幸せが自分の幸せだと思えるようになった。
生協の宅配パルシステム 『KOKOCARA』より引用
銭湯やカフェやスーパーマーケットを綺麗に使うとかそういうことではなく、人との関わりを大事にするということだったようですね。
「いってらっしゃい」「おかえり」って、当たり前に言うけれど、それって、朝家を出る時、帰宅した時に家族に言われるぐらいですよね。
でも、稲垣さんは、近所のおじいちゃんおばあちゃんにそうやって声をかけられるらしいのです。
先ほど、「街全体が家」と言いましたが、稲垣さんにとっての街は、「家であり家族である」のかもしれませんね。
稲垣さんは、このウェブサイトで以下のように締めていました。
人に嫉妬したり、うらやんだり、劣等感を抱いたり……無意識に他人と比較して勝った負けたと一喜一憂するって、思い返せばこれまで実にしんどいことをしてきました。それがようやくカルマを抜け出したというか。まさか、節電という入り口からこんなところにたどり着くとは考えてもみなかったんですが。
生協の宅配パルシステム 『KOKOCARA』より引用
原発事故をきっかけにいろいろ考えた末の節電生活を始めた稲垣さんは、その結果、すごく人間の根本的な部分に行き着き、大事なことに気づいたようですね。
稲垣さんは、「アフロヘア」と「節電」のイメージが先行してしまいがちですが、、「アフロヘア」をすることによって、「行動する勇気とその勇気を支えるのは他人を信じる気持ち」に気づき、節電の末、「他人の幸せが自分の幸せに思える」ようになりました。
稲垣さんをいろいろと調べて記事を読んで、「今度はアフロヘアにしよう」、「私も超節電しよう!」とは思いませんでしたが(節電を意識して生活はします)、とても人間の心の奥深さとシンプルさというものを強く感じました。
この記事を読んで、稲垣さんの別の一面を感じてもらえたら光栄です。
ありがとうございました。
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