WWE日本公演で24年7月来日!中邑真輔選手のアメリカでの知名度は?ボマイェ・キンシャサって何?

スポーツ

アメリカにある世界最大のプロレス団体『WWE(World Wrestling Entertainment)』で活躍している中邑真輔選手。

2016年に14年在籍して数々の実績を残してきた新日本プロレスを退団し、海を渡りアメリカWWEに入団。

それからすでに7年が過ぎましたが、現在でもトップ戦線で活躍しています。

そんな中邑選手のWWEでの活躍っぷり、アメリカでの知名度や、必殺技である「ボマイェ」と「キンシャサ」について深掘りしていきたいと思います。

中邑真輔選手の新日本プロレス退団からWWE

日本で「プロレス」というと、「八百長」という言葉が常に付き纏い、「勝ち負けが決まってるんでしょ?」・「台本があるんでしょ?」のような意識を持っている人が多く、子供の頃からプロレス好きであった筆者にとっては、「そうだよ」とも「そんなわけないよ」とも言えず、というか説明するのが面倒くさくて、「プロレス好き」ということをあまり公表してきませんでした。

あっ、話の本題から逸れてしまう・・・(笑)。

このあたりの話をすると、かなり長くなってしまうので、やめましょう。

WWEは名前の通り、「エンターテインメント」と謳っています。

要するに、アメリカでは、「台本というストーリーの上に成り立っているスポーツ」ということを明確にしていて、ファンもそれを理解して、いや、いちいち八百長とか真剣勝負とか意識しいないのかもしれなくて、純粋にストーリーと選手たちの戦いを楽しんでいます。

現に、スタジアム級の会場では超満員な光景が見受けられ、スタンド席最上段の人は、肉眼では選手の戦いをみることができないのでは?と思うぐらいです。

『WWEネットワーク』というネット配信サービスの加入者数は、全世界で150万人を超えています。

参考までに、日本の最大のプロレス団体『新日本プロレス』の配信サービス『NJPW WORLD』の加入者は10万人ほど

その規模の違いがわかるかと思います。

そんな最大級の場所を求めてアメリカに飛びたった中邑選手のプロフィールとWWEに移籍するまでの経緯を見てみたいと思います。

新日本プロレス入団からデビュー

中邑選手は、

  • 1980年、京都府峰山町(現京丹後市)』生まれ
  • 京都府立峰山高校卒業
  • 青山学院大学経営学部卒業
  • アメリカ合衆国フロリダ州オーランド在住

中学卒業の時にプロレス入りを希望しましたが、母親から「高校卒業後でも遅くないのでは?」と諭され高校に進学。

高校時代はレスリング部に所属していたそうです。

高校卒業時に、さぁプロレス入りするぞ!と思っていたところ、またも母親から「大学卒業後でも遅くないのでは?」と諭され、青山学院大学からもスカウトがあったため大学に進学したそうです。

お母さんは、息子である中邑選手にプロレスラーになって欲しくなかったのでしょうか???

高校に行けば、大学に行けば、何か違うものに夢中になり、プロレスラーへの夢が違うものになるのを期待してたのかもしれません。

中邑選手が19歳の時にご主人と死別していることもあり、中邑選手には普通の人生を歩んで欲しかったのな・・・なんて思いました(あくまでも私の推測ですからね)。

そんなお母さんではありますが、中邑選手がWWE入りを決め渡米する時には、中邑選手にエールを送っています。

高校生のころから英語を積極的に学び、卒業文集も英語で記した。海外への憧れが強い息子の姿を見てきただけに、いつかこの日が来ることを予期していた。

『東スポWEB 2016年3月28日』より引用

長年の夢を今まさに叶えようとしている息子の姿にお母さんはさぞかし嬉しかったでしょうね。

大学卒業後の2002年、新日本プロレスに入門しました。

同年の8月、元大相撲小結の孝乃富士(たかのふじ)こと安田忠夫選手を相手にデビュー。

中邑選手のデビュー戦の記事はこちら

中邑選手は大学時代にレスリング部の主将を務め、並行して総合格闘技道場に通っていたこともあり、当時の新日本プロレスの格闘技路線の主要メンバーとして、巡業には帯同せず新日本プロレスのLA(ロサンゼルス)道場で総合格闘技のトレーニングしていました。

これは、新人選手としては異例の待遇でした。

当時は、プロレス人気が下火で、総合格闘技やK1のブームが爆発していて、大晦日は「紅白か格闘技か」という時代でした。

 

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○大流行していた、『PRIDE』。腕の骨が折れそうなぐらいに極められています

そんな中に現れた総合格闘技の技術も併せ持った中邑選手。

新日本プロレス自体が、総合格闘技人気に危機感を抱き、その路線を模索していたのかもしれませんね。

この頃は、何を隠そう私自身もなんとなくプロレスから心離れて離れていた時期でもありました。

あまりにもよく総合格闘技を目にするようになり、大晦日は必ず『PRIDE』で高田延彦統括本部長の「出てこいや」を楽しんで見ていました。

プロレスの当たり前の動作である、ロープに振ったら振り返って帰ってきて技をくらうこと、相手の技を避けられるのに敢えて技を受けることに疑問を持ち始めていました。

かたや、総合格闘技では、技を決めれば離さない・全力で技を受けないように防御する、相手の顔を本気で殴りまくる・・・そんなリアルな戦いに心躍っていたのです。

話を戻します。

そんな高待遇の新人だった中邑選手は、翌2003年、選ばれしものだけが出場できる新日本プロレスの『G1クライマックス』というリーグ戦にデビュー2年目で初出場

そして、新日本プロレス内での最高峰のベルト、『IWGPヘビー級』王座にも初挑戦。

デビューしてから最速最年少という記録で王座戴冠しました。

 

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○若い頃の中邑真輔選手

プロレスの低迷期に現れた超新人。

新日本プロレス自体が焦りを感じていたのか、デビュー間もない中邑選手をスター街道に乗せ、団体最高峰の位置に挙げたことに、当時の私は疑問を持っていました。

昭和生まれ世代の私は、運動部の部活などでもそうでしたが「数年は厳しい下積みを経験して先輩という大きな壁に何度も挑みながら強くなっていく」という考えでした(今も少なからずそんなことを思う時があります)。

その過程で成長することがとても大事なわけで、ちょっとばかり総合格闘技の経験があるからって他の新人と一線を画してスター街道にのせるのは、ちょっとそれはないんじゃないの???という気持ちでした。

何度も何度も負けて這い上がる・・・。

それがない中邑選手は、今後、長く続けていくことができるのかな???
そんなことを思っていました。

新日本プロレス時代の活躍と退団・WWEへ

そんな華々しいデビューと待遇の中邑選手は、私の予想とは裏腹に、主力選手として活躍していきました。

2004年から2016年の間に、IWGPヘビー級王座を2回戴冠

中邑選手の代名詞となるIWGPインターコンチネンタル王座(IWGPヘビー級とは別の王座)を戴冠し、そのベルトを中邑選手の代名詞とし、その後は団体最高峰のIWGP王座には挑戦せず、あくまでインターコンチネンタル王座にこだわりを持ち続けていました。

今現在の中邑選手のファイトスタイルやムーブメントはこの頃に作られていきました

 

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○リングインしてから、まさに身体が「くの字」に。この頃から「個」の表現が目立っていきました

そして、2016年の1月4日の東京ドーム大会で、のちにWWEのスーパースターとなる『AJスタイルズ』選手と激闘の末勝利、同じ1月に新日本プロレスを退団しました。

 

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○中邑真輔選手、新日本プロレス最後の試合が『週刊プロレス』の表紙に

ちなみに、2007年には大学からの知人の前川陽美さんという方と結婚をしています。

中邑選手の「もし、海外で試合することになったら、ついて来れるか?」という何気ないプロポーズに、陽美さんが二つ返事でOKしたという。

『新日本プロレス公式ホームページ』より引用

プロポーズの言葉で、「海外で試合することになったら」という言葉、先に書いたお母さんの「海外への憧れが強い息子」という言葉にあるように、中邑選手のWWE行きは必然だったのかもしれません。

新日本退団時、36歳。

今を逃したらという気持ちが強くあったのかもしれません。

きっと誰しも(私もそうですが)、そんな時ってありますよね。

今やらなかったらいつやるの?

一歩踏み出す勇気・行動って、勢いがとても必要だと強く感じています

そんな中邑選手の背中を押してくれたのは、もしかしたら奥様なのかもしれませんね。

余談ではありますが、当時このニュースを見たときは、私も驚きを隠せませんでした。

なぜなら、アメリカのプロレスはエンターテインメント性が強く、中邑選手のファイトスタイルがあまりにもハードでエグいものが多かったので、果たしてアメリカWWEのエンタメ性の強い団体に合うのか?と思ったからです。

でも、それは杞憂でした。

WWEでの活躍

アメリカのプロレス団体で活躍したのは中邑選手が最初ではありません。

バラエティ番組でもチラチラ見かける武藤敬司さんも、顔にペイントを施し、『グレートムタ』というリングネームで成功を収めています。

 

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#1993年5月3日福岡ドーム グレート・ムタvsハルク・ホーガン

それ以外にも、アメリカ人が知っている日本人の名前ということで、『クロサワ』(世界の黒沢が由来)とか、『ヒデオ・イタミ』(伊丹十三監督のイタミと、野茂英雄元プロ野球選手のヒデオ)などのリングネームで戦っていた選手もいました。

要するに、名前だけで日本人とわかる、「サムライ」的な感じのネーミングが多かったのです。

でも、中邑選手は、本名のまま、「Shinsuke Nakamura」というリングネームになりました
中邑選手自身がゴリ押し?したという噂もありますし、WWEの執行役員も「好きにしていいよ」と言っていたそうです。

要は、日本でもトップを張っていて実績も申し分ない中邑選手だけに、WWE側もいかにもジャパニーズなリングネームで日本人ということをアピールしなくても、中邑選手なら大丈夫だろう・・・という思いがあったのかもしれません。

どちらにせよ、海外の方からしたら、発音しにくそうな名前ですよね(笑)

 

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○Shinsuke Nakamura

2018年には、ロイヤルランブルという日本でいうバトルロイヤル(大勢の選手が一斉に戦う試合形式)で優勝しました。

優勝者は、WWE世界ヘビー級のタイトルに挑戦権を獲得することができます。

中邑選手はその権利を獲得し、当時WWEのチャンピオンであった『AJスタイルズ』選手と戦うことになったのです。

そう、『AJスタイルズ』と言えば、新日本プロレス、2016年の1月4日の東京ドームで戦った相手です。

あの熱闘がアメリカのWWEで行われることになったのです。

冒頭にも書いたとおり、WWEは「台本というストーリーの上に成り立っているスポーツ」なので、ロイヤルランブルでの中邑選手の優勝とAJスタイルズ選手との王座戦は決まっていたのかもしれません。

そして、もしかしたら、WWE首脳陣も、東京ドームの二人の試合を今度はアメリカで・・・という思いもあったのかもしれません。

しかし、私は正直そんなのどうでも良くて、二人はどんな思いでリングの上で向かい合うのだろう、東京ドームで健闘を称えあった二人がまた・・・。

そして、何よりも、日本人選手がWWEの最高峰ベルトに挑戦!というそれだけでもとてもワクワクしてました

結果は『AJスタイルズ』選手の勝利でしたが、中邑選手の今後のさらなる活躍が期待できる内容だったと記憶しています。

その後も中邑選手は、常にトップ戦線に絡んでいき、2024年現在もそれは変わりありません。

WWEで活躍していた当初、中邑選手は煽り動画やインタビューでは英語で答えていました。

もちろん、ネイティブスピーカーではないから、流暢ではありませんけどね。

でも、最近は、日本語でそのまま話、英文の字幕が出ることが多くなっています

というか、それが通常になってきているような気がします。

昨年2023年に一時帰国した際、AbemaTVの番組に出演していましが、

アメリカ自体、今までは、“(英語に直す)吹き替え文化”だったんですよ。だけど、近年、“オリジナルで受け取りたい”という願望が高まっている。そこは、おそらく、日本のアニメの影響がデカイと思うんですけど。日本の音楽だって、オリジナルで海を越えてるじゃないですか。BABYMETALしかり、新しい学校のリーダーズしかり、だから、僕の日本語も、今だからというタイミングではありますね

『Yahooニュース 2023/11/25』より引用

と語っていました。

日本のアニメも海外で放映されているし、何より、やはり自国の言葉で話す方が感情を乗せることができますよね

今では、ヒールレスラーとして多くのスーパースターに意味深な発言を含め敵に飢えているようなキャラクターが確立され、SNSなどでも煽り動画が流れています。

そうした「敵に飢えている」感情が伝わるのも、中邑選手にとって、そして世界で視聴しているファンにとってもどちらにも理にかなっているのかもしれませんね。

2016年に入団して、はや8年目を迎えた中邑選手にとってのWWE。

今年の1/28にはロイヤルランブルが開催され、中邑選手も出場します。

どんな動きをし、どんなアクションをし、どんなストーリーが生まれるのか。

楽しみですね。

そうそう、2023年から、日本ではAbemaで無料でWWEの大会を視聴することができるようになりました!!

今までは、WWEネットワークに加入しなければいけなかったけれど、今はスマホにアプリを入れれば視聴することができますよ。

AbemaTVのサイトはこちらです!

 

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中邑真輔選手の必殺技、「ボマイェ」と「キンシャサ」の関係

中邑選手の必殺技は「ボマイェ」という、助走して相手に片膝を打ちつける打撃技です。

 

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○ボマイェ(キンシャサ) がヒットした瞬間

「ボマイェ」=スワヒリ語で「Boma Ye」。
リンガラ語(アフリカのコンゴで用いられている言語の一つ)で「Kill you」という意味らしいです。

ちょっと怖い意味ですね。

故アントニオ猪木さんの入場曲、「イノキ・ボンバイエ」の「ボンバイエ」と「ボマイェ」は同じ意味らしいですよ。

「ボマイェ」という技の名前は、中邑選手が新日本プロレスで活躍している時に使われていましが、WWEに移籍してからは、同じ技だけど、「キンシャサ」という名前に変わりました。

1976年に、故アントニオ猪木さんは、ボクシングの元世界ヘビー級の故モハメド・アリさんと異種格闘技戦を行いました。

その時に、アリさんから猪木さんに送った曲が「イノキ・ボンバイエ」

そのアリさんは1974年、「キンシャサの奇跡」と呼ばれる、コンゴ共和国のキンシャサでフォアマンを破った世紀の一戦の際に「アリ、ボンバイエ」と声援を受けたといわれていました(簡単に訳すると、「アリ、やっちまえ!」「アリ、ぶっ●ろせ!」みたいな感じでしょうか?)。

でもだからと言ってどうして「ボマイェ」が「キンシャサ」に命名変更されたのでしょう?

本当のところは分かりませんが

・ボマイェの意味が「ぶっ●ろせ」で、アメリカでは放送コードに引っかかる

・米国の衣類メーカーが既に”Bomaye”を商標登録していた

そんな説があるようです。

「ボマイェ」にせよ、「キンシャサ」にせよ、故アントニオ猪木さんと故モハメドアリさんが関係している技の名前・・・ということですよね。

なんだか、二人の故人の意思を引き継いでいるような、そんな気がしないでもないですよね。

中邑真輔選手のアメリカでの知名度

正直、これだけは数値を公表しているサイトが見当たらず確かなことは言えない状況です。

Yahoo知恵袋では、「知名度でいえば、『大谷翔平』を超えている」という意見、一番有名な日本人は、「以前からアメリカで活躍している日本人俳優の『マシ・オカ』だよ」などなど。

個人によってその捉え方も違うので、中邑選手がどれだけの知名度があるのかわは分かりません。

ワールドワイドに飛び回り、初めて訪れる地でも大観衆が自分のプラカードを持って応援してくれている。スーパースターにとっては当たり前の日常でも、中邑は応援してくれるファンに触れるたびに「普通にうれしいし、ちゃんと伝わっているんだっていう感情になります」と目を細める。

『Yahooニュース 2023年11月27日』より引用

と、語っていました。

そもそも、よく考えたら、どのジャンルであれ選手たちは知名度なんて気にしてないんでしょうね。

いかに結果を残すか。

どうやって表現しようか。

その考えた末の結果がアメリカ人の心に刺さったりするわけで、自ずと知名度も上がっていくのでしょうね

○日本語で話すShinsuke Nakamura

ずいぶんと長くなってしまいました(汗)

私の正直な気持ちで言うと、多くの日本人選手がそうであったように、中邑選手もアメリカでは受けないのでは???と持っていましたが、「杞憂」と言ったとおり、真逆でした。
日本からアメリカに行くと、いかにも日本人っぽいキャラクターを演じさせられたりしてしまい、あまり受けないでなんとなく終わってしまう・・・こともありますが、中邑選手の場合は、名前も変えず日本で活躍していたそのままのファイトスタイルをWWEのリングに持ち込んだのが功を奏したのかもしれません。
もちろん、時代も追い風だったのかもしれません。
アメリカでも新日本プロレス(だいぶ前に書いたNJPWというはいしん)を視聴できるから、「あの中邑がきたよ!」という感じでアメリカ人にも歓迎されたのかもしれません。

かつて中邑選手は言ってました。

『表面的な華やかさへの憧れ・海外に行きたかった・お金持ちになりたかった・親孝行したかった。それを全て叶えられるのがプロレスラーだ』と。

 

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○大観衆の前で勝利の雄叫びをあげるShinsuke Nakamura選手

それらを全て叶えた中邑選手の今年の活躍、いや今後の活躍を期待したいですね。

そしていつしか、外国人枠として、新日本プロレスで試合をしているところを見てみたいものです。

【補足】

今年の1月末で、現在の日本のプロレスを引っ張ってきた『オカダカズチカ』選手が新日本プロレスを退団することが報じられました。

中邑選手を兄のように慕い、中邑選手の壮行試合では涙を流していたオカダ選手。

巷では、アメリカに行くという噂も流れています。

もし、オカダ選手がWWEに行って、中邑選手と絡むことがあったら・・・。

オカダ選手の今後も目が離せませんね。

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