毎週土曜日14時、Tokyofmでオンエア中の番組、『福山雅治 福のラジオ』。
スーパースターの福山さんのスーパースターらしからぬ面白いトーク・故郷長崎での若かりし頃の話など、福山ファンでなくとも楽しめる番組かと思います。
福山さんと番組を進行し、番組内では福山さんの相方として活躍している放送作家の今浪祐介さん。
とにかく、番組中、笑っていることが多くてその笑い声もネットでは少々話題になっています。
今回は、そんな今浪祐介さんにスポットを当ててみたいと思います。
今浪祐介さんの放送作家としてのスタートは?
まずはいつもながら、簡単なプロフィールを!
今浪祐介さん、プロフィール
- 氏名
今浪祐介(いまなみゆうすけ) - 生年月日
1975年11月13日、48歳(2024年5月27日現在) - 出身地
福岡県北九州市 - 最終学歴
中央大学文学部 - 経歴
大学入学後、放送系のサークルに入会し、ニッポン放送でアルバイトを始め芸能界に触れる・厳しいディレクターに絞られ突然いなくなってしまった放送作家の代わりにバイトではあったがとつぜん放送作家を任される・大学4年になり特に就活をせず、そのまま放送作家になる・「シャ乱Qつんくのオールナイトニッポン」で初めてメイン作家を担当・少しずつ認められ、他局からも声がかかるようになり、1999年、福山雅治の番組に参加・2001年、ポルノグラフティのオールナイトニッポン担当・2009年、福山雅治のライブのスタッフとして全国ツアーに帯同その他、過去には20ほどのラジオ番組、11のテレビ番組の企画・担当を務めていた
この投稿をInstagramで見る
右側の方が今浪さんです。
芸能界への憧れ
福岡県北九州市で育った今浪さん。
テレビやラジオが好きで、少年の頃、『オレたちひょうきん族』『風雲!たけし城』『アメリカ横断ウルトラクイズ』などのテレビ番組を見て育って芸能界に憧れを抱き、東京に行きたいと思ったそうです。
『アメリカ横断ウルトラクイズ』、私も大好きでした。
数万人の一般人が後楽園球場に集まり数百人(だったかな)に絞られ、成田空港、グァムに渡る機内でのペーパーテスト、アメリカ国内を転々とし、最後はニューヨークで二人きりで決勝を行うクイズ番組。
広大なアメリカをの大地を走り回って回答しなければならない場面もあり、知力だけでなく体力も必要なクイズ番組でした。
日本テレビで毎年秋冬ごろの1ヶ月半、毎週木曜日に放送されていました。
アメリカ国内を転々としていくうちに、人数が減ってくると、自分のお気に入りの回答者が出るくらいハマってしまい、そのお気に入りの人が負けて脱落したときは、かなりガッカリしていたことを覚えています。
日本テレビの福留アナウンサーが長いことメインキャスター(出題者?レポーター?)を務めていましたが、最後の方は、福澤アナウンサーが務めていましたね。
そう言えば、福留アナウンサーはどこにいっちゃったんだろう・・・。
話がそれてますよ。
今浪さんのこと教えて!
失礼しました
今浪さんの話に戻しますね。
ラジオの方では、福岡RKB毎日放送で、俳優の山崎銀之丞さんが番組をやっていて、よくハガキを投稿していたようです。
当時、ハガキが読まれると少額の賞金がもらえたようで、よく送っていたそうです。
ちなみに、山崎銀之丞さんはこんな方です
お顔を見れば、「あー!」となる方多いはず!?
大学合格、そして芸能界への第一歩
東京へ行きたいと思っていた今浪さんは、一般受験で中央大学文学部に合格。
晴れて憧れの東京に上京してきたのです。
入学後、放送系のサークルに勧誘され、即入会を決意しました。
そして、ラジオニッポン放送のアルバイトを紹介してもらいました。
今浪さんにとって初めて芸能界に触れたのはラジオ局だったんですね
原稿のコピー、タクシーの手配、買い出しなど、雑用ばかりだった今浪さんはどんな気持ちでアルバイトをしていたのでしょう。
18歳になるまで田舎に住んでいて芸能人なんて見たことなかったのに、ラジオ局では廊下やエレベーターで山田邦子さんやウッチャンナンチャンさん、デーモン閣下に会える。エンターテインメントのテーマパークの中に暮らしているような気持ちになれました
講談社ホームページ マネー現代
『福山雅治から「ちょっと今浪さーん」いじられる・・・『福のラジオ』の作家「今浪祐介」とは何者か?』より引用
憧れの芸能界に第一歩を踏み入れた今浪さんは、毎日テーマパークにいる気持ちだったんですね。
要するに、毎日が楽しいってことだったんでしょうね。
放送作家としてデビュー
芸能界に足を踏み入れた今浪さんは、どうやって放送作家となったんでしょう。
古田さんの番組のディレクターがとてもとてもとてもとても厳しい方で、ある日若い放送作家の方が1人飛んでしまったんです。当時はよくある光景でした。
で、そこにちょうどバイトで入っていた私が『お前、明日から作家な』と声をかけられたんです。まだ学生なのに。半分嬉しかったけど、とてもとてもとてもとてもとてもとても厳しい方だったので半分は断る勇気がなくて。結果 作家にしてもらいました。
講談社ホームページ マネー現代
『福山雅治から「ちょっと今浪さーん」いじられる・・・『福のラジオ』の作家「今浪祐介」とは何者か?』より引用
ひょんなことから、作家デビューができたんですね。
今浪さんが大学生というと、1995年〜2000年頃だと思われます。
大体25年〜30年前ですね。
会社には必ずと言っていいほど、「怖い人」っていましたよね。
色々と厳しいこの令和には、そういう「会社での怖い人」というのはだいぶ減ったのかな・・・。
電話するにも、話しかけるにも、勇気が必要・・・みたいな人。
その人に言われると、返事は「はい、やります」一択のような(笑)。
きっと今浪さんに「お前、明日から作家な」と声をかけてくれた人もそうだったんでしょうね。
厳しくて怖くて怖くて仕方なくて、断ることができなかったことが、現在の今浪さんがあるって考えると、その人に出会っていなかった今浪さんは、今頃どうなっていたんでしょうね。
そう考えると出会いと「あの時」の選択というのは運命を感じますね。
福山雅治さんのラジオ番組の相方として
今浪さんは、毎週土曜日14時、Tokyofmでオンエア中の番組、『福山雅治 福のラジオ』の放送作家として出演しています。
この番組の前身の番組が『福山雅治のSUZUKI Talking F.M.』です。
毎週日曜日16時から放送されていて、私もよく車を運転しながら聞いていました。
調べてみると、この番組は1996年4月から2015年11月まで放送されていました。
その後、番組名と放送時間を変え放送終了の翌週から現在の『福のラジオ』になりました。
- 1996.04.07〜2015.11.29 『SUZUKI talking F.M』
- 2015.12.05〜現在 『福のラジオ』
1996年4月というと、私が社会人スタートしたのと同じです。
いやー、なんという長寿番組なんでしょう!
今浪さんは、1999年に『福山雅治のSUZUKI Talking F.M.』に参加しました。
2009年には福山さんのライブツアーにも帯同するようになりました。
今浪祐介さんの笑い声
『福のラジオ』を聴いていると、福山さんにいじられている今浪さんの声がよく聞こえてきます。
少しばかりキーの高い声色で、よく笑っている今浪さん。
ただ、今浪さんは過去に、例の怖いディレクターに「笑いすぎ」と注意を受けたことがあり、それ以来リアクションを控えていました。
しかし、福山さんと番組を一緒に進行するようになってからは、「もっとリアクションをとっていいんじゃない?」と福山さんに言われました。
今浪さんは、「リスナーが聞きたいのはメインパーソナリティの声、放送作家の声がうるさのは・・・」と思っていましたが、福山さんは「ラジオやっている側の人間が楽しんでないと、聞いてる側までが楽しくなれるわけがない」という考えだったらしいのです。
現在、今浪さんが自然体で振る舞っているのは、福山さんのこの考えだったのかもしれませんね。
そんな今浪さんですが、リスナーの中には笑い声が気になっている方もいるようです。
福のラジオで福山さんと共演されてる岩浪さんという放送作家がうるさいです。特に笑いかたが耳障りです。 同じような印象をお持ちのかたいないですか? 福山さんのトークだけ聞きたいのに。
『YAHOO知恵袋 2016.10.16』より引用
人の悪口を言わない
言う暇があっら自分が頑張る
そうしたら、毎日が楽しい
楽しいといっぱい笑える
笑うと長生きできる
長生きするとチャンスが増える
なんと、前向きなんでしょう!
きっと、これが今浪さんの根幹なのかもしれません。
「笑うことで最終的にはチャンスが増える」
今浪さんの笑いというのは、今浪さんの自然体なんだなとつくづく感じます。
また、この根幹があったからこそ、厳しいディレクターに怒られても悪口を言わずやってくることができて、福山さんと巡り合って長寿番組の放送作家として携われているのかもしれません。
ほんと、私も見習いたい!です。
今回は、福山さんのラジオ番組『福のラジオ』の放送作家の今浪祐介さんを紹介させていただきました。
今浪さんの笑い声を聞いてみたい!という方は、是非、土曜日午後2時から『福のラジオ』を聞いてみてください。
コメント